Voyager

海外院進を志す女の子

私から見たシス創C

こんにちは、takeshiho0531です。

そろそろ進振りの季節が近づいてきました。
(個人的には進振りとかなんだか前世の記憶レベルですが...)

私は東大工学部システム創成学科Cコース(以下シス創Cと略します)で1年半強過ごしてきましたが、同じシス創CではX(旧Twitter)を頻繁に動かしている人が多分少なく、直接の知り合いとかがいないと在籍学生生活の実情が少し伝わりづらそうと思う面があります。(実際私も進振り前はどんな学科か正直わからないなと思っていました。) 

なので、一学生の視点からではありますが、自分の在籍しているシス創Cに関してブログを書いてみようかなと思います。(正直に個人の思いを書こうと思うので、不快にしてしまった場合はすみません。)

またいつも通り思いつきで書いているので、読みにくくてすみません🙇‍♀️

※ 同じシステム創成学科でもCコースとA/Bコースは、学科の雰囲気が異なったり育成しようとしている人材が違ったりして、色がかなり異なります。あくまでもCコースに関するブログであって、A/Bコースに関しては大して参考にならないと思います。また、以下で「学科」に言及した場合は、システム創成学科全体のことではなく、シス創Cのことを指すと思ってください、コースと書くのは違和感があるので。)
※ 2023年度にシス創Cに進学した学生の意見です。年度が違う場合参考にならない部分があるかもです。

カリキュラムに関して

カリキュラムの概要

  • ビジネス系や社会科学系の人材育成を目指しているんだろうなという感じ
  • 情報系の学科ではないと思う
  • 授業のジャンルの幅がかなり広い
  • 体系立てて何かを深く学ぶためのカリキュラムではない
    • 他学科/他学部履修をすることはできます。ただ、シス創ではターム制の授業(1タームで終わる授業。その代わり1週間で2コマのケースが多い。) が多いため時間割が組みにくいケースがあります。
  • 出席を求められることが多いが、1つ1つの授業は重くない
    • 日課題に追われてストレスフル、みたいなことはないと思います
    • 実験はない。代わりにプロジェクトの講義が必修としてあるが、実験ほど重くないかなという感じです

時間割例

学科のホームページにも時間割の例は出ています。必修や限定選択(選択必修的な)がどの授業かはホームページで確認できます

2A

2Aはほとんどの学生が同じような履修(必修+限定選択ほぼ全て)をします。動機づけプロジェクトが必修です。2Aでたくさんとるイメージです。(時間割見にくすぎて草)

2A時間割 例

3S

3Sになると、人によって時間割に色が出てくる感じです。以下は友人のうちの1人に時間割の例を見せてもらいました。(自分の場合は独特な履修をしすぎたので参考にならないとは思い....)

3S1にある基礎プロジェクトが必修です。

(赤: 必修、青: 限定選択、黄: その他)

  • 3S1
    3S1時間割
  • 3S2
    3S2時間割
3A

3Aはほとんどの人が大体履修をほとんど終えていて、週3日くらいしか学校に来てない人が多いかもです。(ほとんどないので時間割表はいいかなと思って省略します)

これまでに他学科履修とかができてなかった場合はここあたりで取るのが賢明なのかもしれません...

4年

3年の2月ごろに研振りがあり、4年生は研究をやるという感じです。(授業はもちろん取れます。)

学科の雰囲気

  • 私の学年の女子率は1/5程度(例年より多いと思われる)、全体は1学年で50人程度
  • 院進する人が多い気はするが、工学部・理学部の他学科と比較すると、卒業後院進せずに就職する人の割合は高いと思う
    • 就活生への配慮からなのか、3年生のS2タームは必修の授業がなかった()
  • 陽キャな人が多い
    • InstagramやBeRealに生息している人が多い...
    • 一方、陰キャな私は数少ない陰キャ同士で仲良くできたので良かったとは思います(多分陰キャというだけで仲良くなれる)
  • 打ち込んでいるものや思い描くキャリアは人によってかなりバラバラ
    • エンジニアリング・投資・就活・起業・研究・留学・イベント運営・成績・部活・ポーカー.... など人によって打ち込んでるものが本当にバラバラだなと思います....
  • インターンしている人が多い
    • 3Aくらいになってくるとインターンしてるのが普通くらいの雰囲気だったかも

どういう人が向いてそうか

  • ビジネスに興味がある人
  • 大学に対して、人脈であったりいろんな人と出会う機会を求めている人
    • 大学は学問のための場所だ!という人にとっては、カリキュラムも雰囲気も合わないかも
  • まだ何を専門的に学びたいのか自分の中で決まっていない人
    • ただこれは選択を先延ばしにしてるだけとも言えるので注意
  • 授業外での学びや成長の機会を積極的に掴める人
    • 授業は重くない + 体系的に学べるカリキュラムとも言い難い ので、自分でやりたいことを見つけてそれをできる場を積極的に掴んでいかないと、楽しくは過ごせても何も身につかない後期課程になってしまうと思います...
  • 特定の研究室に行きたい人
    • ただし、研振りがあり、行きたい研究室に行けるとは限らないので要注意
    • 特定の研究室に行きたい気持ちが強いならば、配属研究室がどうやって決められるのかを把握した上で、その研究室に配属されるように進振り後は戦略的に動くべきだと思います
    • 個人的には、2年生ならもうちょっと興味に幅を持たせてもいいんじゃないかなとは思います...(真剣にやってみると大体のものは面白いところがあるはず...!)

良かったところ / イマイチだったところ (個人的に)

正直なところ授業の扱う分野や内容が私にあっていたとはあまり思えませんが、のびのびできた点で私の性格に合っていたと思います。

良かったところ

精神的にも時間的のもある程度余裕がある中で好きなことを見つけてそれに時間を費やすことができたことです。昔からすごく得意なものと全くできないものとの二極化しやすい自分なのですが、すごく得意になるものに関しては伸び始めの時期に(劣等感、負けん気、悔しい気持ちとかの負の感情に苛まされずに)好きなように自由に打ち込んでみて急激に伸びるという共通点がありました。得意なものを見つけてそれを伸ばす環境として私にとても合っていたと思います。
ちなみにシスCで得られた精神的余裕・時間的余裕とは

  • 精神的な余裕
    • 研振りが成績順とかではなく(私の学年は)、成績にピリピリしなくて良かった
    • 学科同期と自分を比較することがほとんどなかった (いろんな人がいて学科民のレーダーチャートの尖っている部分が人それぞれ違いすぎたので、比べる気にもなれなかった)
  • 時間的な余裕
    • 授業が重いというわけではないので...

でした。

イマイチだったところ

  • 授業内容に対してはあまり興味が持てなかったところ
  • 思ったより他学科履修ができなかったところ
    • これはシス創がターム制の授業が多いせいです。先生にも何度か変えてほしいとは言ったのですが、そう簡単に変わるものではないのでしょうね....。
  • 研究室の幅が広すぎる
    • これが1つの学科になってるの?という感が否めないくらい研究室によって扱っている分野が異なるのですが[研究室一覧]、機械学習がやりたいと思って入ったのに研振りで流体力学の研究室になったといったことは普通にあり得ると思います...。

最後に

その学科が自分に合うかどうかというのは、授業内容はもちろん、研究室や学科の雰囲気などで総合的に決まると思います。客観的な情報を提供できたとは正直思いませんが、進振りに臨む方により多くの判断材料を提供することができていれば嬉しいです。

(あとは、進学したらその学科の良い部分をできるだけ多く活用することが大切だと思います。授業内容の興味が一致しないというのは側から見ると私の場合結構致命的に思えますが、もう一度2年生の夏の時点に戻っても同じ進路選択をすると確信するくらいには進振りには満足しています。)



そういえば、シス創Cの学生は自分たちのことをPSIと呼ぶので、シス創Cという単語を久しぶりに使った気がします()

GSoC2024に採択された

こんにちは。takeshiho0531です。
GSoC(Google Summer of Code)2024に採択されて早3週間くらい経ちましたが、そのことについて(今更)書きたいと思います。
※ このブログで紹介しているのはあくまで私個人のケースです。GSoCの正確な情報は公式ホームページで調べてください。

GSoC(Google Summer of Code)とは...??

ざっくり説明すると、メンターの指導を受けつつオープンソースプロジェクトに3ヶ月くらい貢献するとお金がもらえるというイベントです。 新規でOSS(open source software)へ貢献する人を増やそうとする取り組みの一環という感じだと思います。
ただみんながみんな参加できるというわけではなく(資金は有限だし...)、まずは自分が参加したいと思っているprojectに関してどのようにそのprojectを実装するのかなどに関してProposalを書き、そのProposalが選ばれれば参加することができます。
詳しくは公式ホームページ等を参照してください。ちなみに今年は完走すると$5400がもらえるみたいです🤑

GSoCの流れ

上で、選ばれるまでのステップとその後に実際に参加するステップがあるということを書きました。もう少し細かく流れを書くとこんな感じです

  1. GoogleがGSoC Studentを受け入れることができるオープンソース団体(以下ではorganizationと書く)を募集する。→ メンターや資金を提供できるorganizationが選抜される
  2. 選抜された各organizationはStudentにやってほしいというプロジェクト案(idea listとかと呼ばれることが多い)を提示する
  3. GSoC Student候補者はどのorganizationのどのプロジェクトに参加したいかを決める。ただし、organizationが提示したプロジェクト案にないものでも構わない(ただ選ばれるためのハードルが少し上がるかもしれない)
  4. GSoC Student候補者は、どのプロジェクトをやりたいのか、どのようにそれを達成するのか、どういうスケジュールで進めるのか、などを書いて(Proposalと呼ばれるもの)、期限までに提出する
  5. 各organizationが提出されたProposalを見て、自分のorganizationに応募してきた候補者に順位をつける。この中で参加枠内の順位の学生が採択される。
  6. 採択されたら、メンターに指導を受けながら各々プロジェクトを進める
  7. 完走できたら報酬金が受け取れる

採択されました

私はFree and Open Source Silicon FoundationというorganizationでGSoCに参加することになりました..!

GSoC2024 my project

summerofcode.withgoogle.com

というわけで、採択されたので完走できるように頑張ります

cf. 応募内容 (少しニッチな話かもなので...)

元々はETH Zurichで開発が始まったArianeというオープンソースRISC-Vのコアがあって、それが今はOpenHW groupの下でCVA6というオープンソースなコアとして開発・メンテナンスが続けられています。
CEA(Commissariat à l’énergie atomique et aux énergies alternatives; フランスの原子力代替エネルギー庁)では、HPDCという高性能なL1データキャッシュをオープンソースで開発していて、CVA6/ArianeでHPDCをL1データキャッシュとして選択できるようになっています。
今回のGSoCのプロジェクトはこれを命令キャッシュとしても使えるようにすること、さらにはOpenPitonという、プリンストン大学で開発が始まった、マルチコア化をサポートしてくれるオープンソースがあるのですが、それに接続できるようにすることが目標となっています。

採択までの道のり: 私の場合

全体的なスケジュール感

GSoC2024の採択までのスケジュールはこんな感じでした。 GSoC2024 schedule

応募側が実際に関係があるのは2/22くらいからのものです。私は2/25くらいに選んで3/10くらいまであるプロジェクトのコードとかをのんびり眺めてProposalのメモとかを書き始めていたりしたのですが諸事情で(以下の「プロジェクトを選んだ時の基準」のところで言及しています)プロジェクトを変更することにしました。一からコードも読み直し・環境も作り直しになってしまったのでかなり焦りましたが、3/20前くらいにProposalの初稿を書いて添削のフェーズに入ることができました。
4月に入ると、ちゃんと応募できたのか不安だったので毎晩Proposalをsubmitしていました😅

プロジェクトを選んだ時の基準

私の場合は、もともとorganizationが提示してくれていたprojectから選んだのですが、このプロジェクトを選んだ理由は大きく2つあります。

  1. ハードウェア関連のプロジェクトであったこと
  2. メンターに米国の大学の先生がいたこと

です。

1.に関しては、私は大学院ではハードウェア分野を専攻しようと思っている一方で、卒論配属は深層学習の理論寄りな部分になっていて、正直なところレイヤーが全く違います。せっかく今までの研究インターンverilogを書けるようになったのに、しばらく書かなかったら力が落ちるのではないかと不安になったので、応募するときはverilogなどのHDLを使うという条件でまず応募するプロジェクトを絞り込みました。

2.に関して。1.の時点でかなり応募先のorganizationが絞られていたのですが、そこからこのプロジェクトにした理由は、メンターに米国の大学の先生が入っていたからでした。以前からも公表しているのですが、私は学部卒業後大学院からはアメリカのPh.D.コースに進学したいと思っています。アメリカのPh.D.コースに進学するには、日本みたいな大学院入試みたいなものはなくて、推薦状や論文実績、学業成績、英語の各種テストのスコアなどで総合的に選抜されます。その中でも「コネ」というのはかなり重要視されます。これは特にハードウェア寄りの分野では顕著だという話はあって、なぜならハードウェアの分野ではソフトウェアや機械学習寄りの分野に比べて研究のサイクルが長くなりやすく、学部生が直接Ph.D.コースに出願しようとする場合だとスケジュール的に論文実績をうむことがかなり難しくなるからだと言われています。つまり、論文実績を作ることが難しいので、先生とコネクションを築いてそこで自分の技術力などを示しておくことが合格する確率を上げるのに重要だということになります。

メンター達とのコンタクト

採択されるにはメンター達とのコンタクトがとにかく重要らしいので頑張りました。

参加するプロジェクトを決めたら、すぐにそのメンター達に参加したいと思っているという旨のメールをしました。
実は、このプロジェクトに決める前は、別のプロジェクトにしようと思っていたのですが(もちろんこれも先述の2項目の基準を満たしていた)、複数回いろいろな内容でメンターにメールを送ったのですが、メンターからの返事が全然帰ってこなかったので、そもそもGSoCにあまり積極的ではない先生なのかな?もしくは私に興味がないのかな?と思ったので、プロジェクトを途中で変えました。(大学の先生の場合、フルタイムでそのOSSに従事しているわけではないので、あまり積極的でない可能性はあると思います。)
今回実際に応募したプロジェクトでは、すぐにメンターの方々から返信が来たのでとても安心しました。

その後のコンタクトとしては、ProposalをGoogle Documentで書いてリンクを共有して、たくさんコメントをしてもらいました。また、自分の理解がこうだけど正しいのか?という確認はメールでたくさんするようにしていました。理解度のアピール&メールのやり取りを途切れさせない(私のことを忘れさせない)ために始めたことでしたが、自分の認識を訂正してもらって理解が深まったり、プロジェクト案には書いていなかった内容(そのオープンソースの今後の具体的な展望など)も引き出すことができたので、それも積極的にProposalのネタとして使うようにしました。

Proposalの作成にあたって気をつけたこと

実際のProposalです(CVは個人情報が多かったのでリンクを削除しています)

docs.google.com

Proposalの作成にあたって以下のようなことに気をつけました。

  • 過去の参加者の方々のProposalをとにかく参考にして初稿を早めに書き上げる
  • Proposalをメンター達に共有してコメントしてもらう & それに基づいて修正する の繰り返し
  • 大学でしている研究インターン先の先生にコメントしてもらう & それに基づいて修正する の繰り返し

学事歴的な理由で日本からGSoCへの参加者は少ないのですが、過去の参加者の方々がたくさんブログを残してくださっているおかげで参考にできるものはたくさんあります。それを参考にして初稿はさっさと書き上げてしまうことが大事だと思います。ざっと構成と項目を考えて、あとはとりあえず埋めるくらいのノリで、締切の2週間前くらいには初稿は書き上げていたと思います。(途中でプロジェクトを変更したのでかなりスタートは出遅れてしまったのでかなり焦りがありました)

Proposalをメンター達に共有して添削してもらいました。ここでどのくらいレスポンスに時間がかかるのかわからないので、初稿は早めに書いたほうがいいと思います。(幸いなことに私の応募したプロジェクトのメンターはすぐにフィードバックをくれました。)

よくコミュニケーションをとる人の中でハードウェアをやっているのが研究インターン先の先生だったので、先生にProposalを見てもらいました。初めは正直GSoCのことを言い出せずにいたものの、思い切って伝えると、とても丁寧に見てくださりました。(半分以上書き直しになりましたが😅) 以前から先生にもハードウェアの分野で海外院進したいと伝えていて、先生も海外院進に関してとても好意的な考えを持っている方だったので、推薦状なら全然書くよ!とは言ってくださっていたのですが、今回GSoCに応募しようと思っているという旨を伝えたことで私の海外院進への本気度みたいなものを示せたのかなと思っています。

その他気をつけたこと

以前参加した方の中で、コミット履歴を残しておくことが大事と言ってた方が複数人いたので、mergeまでは行きませんでしたが、PRは複数本立てておきました。そのことに関してはProposal内でも言及しておきました。

参考にしたブログ達

応募の際にたくさんのブログを参考にしました。ありがとうございました。以下のリンクは、参考にしたブログの一つのmomokaさんのブログに紹介されているものが多いですが、一応こちらでもリンクを掲載しています。

yamaguchi-1024.hatenablog.com

momoka0122y.hatenablog.com

hakatashi.hatenadiary.com

n-yoshikawa.hatenablog.com

okuraofvegetable.hatenablog.com

tanishiking24.hatenablog.com

sanposhiho.com

uenoku.hatenablog.com

maekawatoshiki.github.io

tkmr.hatenablog.com

sksat.hatenablog.com


また今年参加される(=GSoC同期)方のブログです。 takumma.hatenablog.com

GSoC2024コミュニティ

GSoC2024に参加されている@yurikomiumさんがGSoC2024のコミュニティをX(旧Twitter)上で作ってくださりました。主に参加者同士でゆる〜く情報共有をしているコミュニティですが、GSoC2024に参加してなくても、将来応募する時のための情報収集目的とかでの参加もwelcomeなので、もし興味があれば参加してみてください。 x.com

スタンフォード大学訪問

こんにちは。takeshiho0531です。

実は4/21-25で、かの有名なスタンフォード大学を訪れていたのですが、今回は (出張報告を書かなければいけないらしいのでそのついでに) そのことに関する記事を書こうと思います。

訪問のきっかけ・目的

東大の電気系工学専攻の小菅研究室で半年ちょっと前からインターンとしてお世話になっているのですが、ここがスタンフォード大学Prof. Priyanka Rainaの研究室と (IBM TJ Watson Research Centerと) 共同研究を行うことになり、それがきっかけで東大とスタンフォード大のVLSI research groupで(closed) workshopが開かれていて、それに参加してきました。私も発表の機会をいただき、半年間で行ってきた研究の成果についてのプレゼンを行いました。 (こちらは論文を書く予定なので詳細に関しては投稿後気力があれば書きますがここでは触れません。)

感想

学業面

自分の発表に関して

プレゼンの内容に関しては何度も何度も先生とやりとりをして推敲 (?) していた上に事前練習もそこそこしていたので、発表時は緊張することはほとんどなく自信を持って話すことができました。参加者の中で学部生は私だけで学生もスタンフォード大学Ph.D.の学生がほとんどだったので私が圧倒的にペイペイでしたが、そんな中東大・スタンフォード大の超有名な先生方が私の話を聞いてくれているということに発表中はかなり興奮していました。

大変なのは質疑応答でした。私が今まで気にもしなかったポイントなどを質問されて、しかもそれに対する返答を英語で上手く伝えられず、かなり自分の無力さみたいなものは感じました。 (答えられない質問は先生に助けてもらってました...) まぁでも落ち込んでも仕方がないので、たくさん質問が来たということは、何を言っているのかさっぱり分からないというような発表ではなかったということだし興味を持ってもらえた証拠に違いない...!と思うことにします...

他の人の発表に関して

(軽い時差ぼけのせいでうっすらずっと眠かったです.............)

スタンフォード大のPh.D.の学生の研究内容の発表を聞く時間が長かったですが、自分の知識不足であまり何を言っているのが分からない部分がかなりあって、ここが今回の訪問で最も敗北感を抱いた部分でした。CGRAに関してどうこうという発表でもCGRAに関してほとんど知識がなかったのであまり何を言っているのか分からなかったですし、コンパイラに関しての話も私がそもそもコンパイラを書いたことがなくて全体的にどこがポイントなのかあまり分からなかったりしました。特にコンパイラに関しては、普通のCSの学生だったら学部の授業や演習で散々やらされる内容だと (勝手に) 思うのですが、私はまともなCSの教育を受けておらず手が回っていない分野だったので、ここのコンプレックスをまたもやかなり感じてしまいました。自学しろという話なんですが、インターン等の実践経験をたくさん積んでそこで必要な時に必要なものを吸収するというスタイルをベースでやってきてしまっていて、あまり自学の時間が取れてないことを反省するばかりです....

Prof. Priyanka Rainaの研究室は回路レベルのレイヤーの研究が盛んなのかなと思っていましたが、高位合成などのソフトウェアとハードウェアの境界部分のレイヤーの研究も盛んなんだなぁと思いました。

また、スタンフォードPh.D.の学生のレベル感が分かってかなり良かったです。多分スタンフォードにも出願することにはなると思うので、足りない部分しか感じませんでしたが、足りない部分がかなり具体化されたので行ってよかったなぁと思いました。

その他 (学業面)

先生方の質問がかなり鋭いものが多く、発表の中でどこに特に注目すべきなのかが一瞬で見抜けるんだなぁと思いました。さすがだなぁと思いました、経験を積んであのようなレベルに達することができるように頑張りたいですね...!

生活面

大学内

とにかくすごく広い大学で、街の中にある東大とは全く違って、森の中にあるパークみたいでした。赤い屋根にクリーム色の壁の建築物がとても多かったです、スパニッシュ・コロニアル様式って言うみたいですね (教養がない...)

スタンフォードと言えばここ!みたいなところ

Hoover Towerからの眺め

Memorial Churchは中のステンドグラスがとても美しかったです.... (入れる日と入れない日があるのでご注意ください..)

Stanford Memorial Churchの内部

大学で売っていたカリフォルニアタコスなるものを食べましたが、残念ながらまずかったです... ビーガン向けでせっかく豆とか野菜とかしか入ってないのに、とてもベタベタしたソースやチーズがかかっていて気持ち悪さが長引きました....、あと個人的にはあの豆の使い方は美味しくないと思います

カリフォルニアタコス

発表をした場所はDavid Packard Building (David Packardはヒューレット・パッカードの創業者、あのパソコンでよく見るhpのロゴの会社ですね)というelectrical engineeringの建物だったのですが、1階はBytes Cafeというのがありました、らしい命名ですね()。

David Packard Building

Bytes Cafe

大学外

The Cardinal Hotelというところに泊まったのですが、fancyなホテルでした....、ベッドが最高で良く眠れました....! (先生ありがとうございます.....感涙)

The Cardinal Hotel

晩御飯はカリフォルニアロール (正確にはカリフォルニアロールの上にサーモンとレモンが乗っていてSakura Rollとして売られていました)、飲茶、フォーなどを食べました。そういえばカリフォルニアロールのお店では天ぷらも売っていましたが、パン粉?がついていて、食べた人はケンタッキーのクリスピーみたいな衣だと言ってました....

Sakura Rollなるもの (カリフォルニアロールの亜種)

全体的に体感として物価がとても高かったです。朝ごはんはチーズとハムをパンに挟んでサンドウィッチを作ろうと思っていたのですが、買ったチーズとハムが美味しくなかったので泣く泣く食べました。そのあとは本当に果物しか信じられなくなっていました....。海外に住むとなっても自炊すれば不味くても余裕では、と思って最近自炊に励んでいましたが、割と売ってる食材自体結構違いそう......

whole foodsというスーパーでの商品の一部

その他

先生方とホテルで部屋飲みしたのが割と面白かったです、電気系の先生は割とおしゃべりな印象があるのですが、こちらが特に何も言わなくても人生の蘊蓄など含めてずっと面白い話をしてくれてとても楽しかったです。個人的にはikd先生がとてもマルチタスク聖徳太子みたいですごいなぁと思ったりもしました。

今回の旅にはkdmt先生も参加されていて、kdmt先生が共著で書かれた本なども持っていたので、若くて天才型で近寄り難い感じなのかな?と会う前は実は思っていたのですが、たくさん自撮りをしていて可愛い先生だなと思いました。

空港に行くまでにはkjm先生に航空会社の会員ステータスについて語ってもらい、赤組・青組・紫組・修行とかについていろいろ知れました。全く知らなかった話だったのでとても面白いなと思いました。kjm先生のステータスのおかげで(なんとダイヤモンド...!)、ついでに私もラウンジを使えたのですが、ラウンジのご飯がアメリカで食べた中で一番美味しかったです....

チップを払うために、サンフランシスコの空港で現金をドルにexchangeしたのですが、手数料を馬鹿みたいに取られた(20ドルくらい)上に、チップも普通にクレジットカードで払えたのですごく損をしました...。とりあえずどうせまたすぐにアメリカには行くと思うので日本円には戻さずに米ドル紙幣のまま持ち帰りました....。

あとは、10時間越えのフライトで、腰が砕けるかと思うくらい痛かったので、次からはちゃんと湿布を持っていこうと思いました。





なんかまとまりのない感じになってしまいましたが、今回の記事はここまで。

まとまりがなく書き殴ったみたいな拙い文章ですが、最後まで読んでくださってありがとうございます🤲

私にとっての「留学」とは

こんにちは。

今日は多分将来の自分が見たらクソガキだなと思うようなお気持ち表明的なお話をします。

今学部3年生が終わるというタイミングなのですが、私は大学院進学のタイミングでの海外院進を目指しています。そんな今の私にとっての「留学」とは、なぜ私が海外院進をしたいのか、ということに関してつらつらとお気持ちを書き連ねたいと思います。

一番初めのきっかけ

私が初めて海外の大学院に進学したいと思ったのは大学2年生の夏休み半ばです。五十嵐祐花さんという方を知り、大学になって初めてプログラミングを始めた人でもMITみたいなすごいところに行けるんだぁ....という成功例を知り、もしかしたら運がよければ自分もいけるかも?と思ったのが一番初めだったと思います。(といっても五十嵐さんのブログを少し読んだだけで、五十嵐さんがどれくらいすごい実績で合格したのかということを当時はあまり知りませんでした...、だからこんなことを思ったのでしょうね...)

直後の挫折

海外の大学院に受かるためには研究実績を積まないと!となり、2年生の秋学期が始まると私は海外の大学/研究機関のサマープログラムへの申し込みの準備を始めます。KWS(駒場ライターズスタジオ)に何回も通って志望動機書の添削をしてもらうなどの努力はしたものの、申し込んだプログラムは全て落ちてしまい、また、授業でお世話になった先生に推薦状を頼んだものの断られてしまって推薦状がなくて申し込めなかったというものもありました。

その後春休みに申し込んだプログラムも全て落ちてしまいました。やはりそう甘くはないのだなぁと現実を突きつけられました()

それ以後はやみくもに海外のインターンに申し込むのではなく、日本で経験を積む方を優先して今に至ります。

なぜ私が海外院進を目指すのか

大学2年生夏休み以前は、海外院進どころか留学そのものにすら否定的でした。留学は、なんだか意識高い系の人たちがしているイメージがあって、海外でキラキラした留学生活を送るよりは質実剛健に学問で研鑽を積むのが学生として正しい、格好いいという考えが私の中にはありました。私自身はすごい陰キャなので今でもこういう、キラキラした人達への反骨精神的なものは心情的に非常に理解できます。

ただ、それでも私は海外院進をしたいと思う理由は、大きく分けて理性的なものと感情的なものがあると思います。(理性的とはいってもかなり精神面の話も入っていて分類の仕方が微妙なのはさておき)

理性的な動機

純粋に自分のキャリアにプラスになりそうだと思ったからです。(コミュ障・社不的な面があるので)元々修士を卒業した後にすぐに就職するというキャリアはあまり考えておらず、博士まで行こうかなぁとは軽く思っていました。(当時はあまり博士課程が過酷ということもあまり分かっていなかった...) でも、修士・博士の分の5年間分もの学費を親が出してくれるのかという不安があったし、博士卒よりも修士卒を取りたがる企業が日本には多いみたいな話を漠然とは聞いていて、経済面での不安がありました。これに関してはアメリカの博士課程の方が経済面では良さそうという話や、アメリカの有名企業はPh.D.保持者を取りたがるらしいみたいな話を聞いたりして、アメリカの博士課程は非常に魅力的だなと思いました。

感情面・精神面の動機

海外院進という方針で行こうと自分の中で決めた最終的なきっかけは理性的な動機に基づくものが大部分ですが、たとえ合理的だからといってそれでは私の場合、心が折れそうになったり不安に押しつぶされそうになった時に私を支える力はなくて、こういう時私を支えるのは感情面・精神面での動機です。

これは初期から抱いているものと、3年生の秋くらいから抱くようになったものとの2つがあります。

動機1: 自分だって特別だということを自己確認したい

これは初期から抱いているものです。

それまでの人生を振り返ると、自分は平凡だとか劣等生だという刷り込みを長く受けて続けていたように思います。小学校3年生の終わりくらいから関西では大手の浜学園という中学受験の塾に通ったものの中学受験は失敗してしまいました。中高では親が鉄緑会にものすごい額を課金してくれたおかげでなんとか東大には入ることができたものの、鉄緑での日々は自分は根本的に頭が悪いんだという認識を植え付けられた日々でした。東大に入ると次は、様々な面で圧倒的にレベルが違う人たちを目にする日々が待ち受けていて、自分は何一つまともにできない、誰かに勝てる部分が一つもない人間なんだなと思うようになりました。

一方で、私は自他ともに特別だと認めるような人間になりたいという思いは昔から強いままでした。物語の主人公の持つ特殊な力に憧れてみたり、私もガチプロになりたいと願ってみたり、逆張りオタクであったり.....。鉄緑で自分は頭が悪いということを嫌というほどに思い知らされたはずなのに、東大の入学手続きのために初めて駒場に行った時に一番初めに思ったことは「私、ここで埋もれてしまうのかな....、それは絶対に嫌」という感情でした。

海外院進は、周りの東大生があまり挑戦しないことであり、成功すると多分尊敬してもらえます。海外院進成功するまでの過程が、自分が特別だと確認するための過程だと思っています。

動機2: その先の景色が見たい

これは3年生の秋ごろから抱いているものです。

五十嵐さんが留学を志したきっかけとしてブログに、『自分には「より多くの、美しい景色を見たい」という根源的な欲求があり、世界トップの大学でストレスで死にそうになりながら博士号を取った後は世界がどの様に見えるのか、非常に非常に強い興味がありました。』と書かれていました。初めて読んだ時、私は正直全く理解ができませんでした。

私は、3年生の6月ごろから精神的な問題が顕著になり、精神科への通院を始め現在に至ります。精神に明らかな異常をきたす前は猪突猛進、がむしゃら、物量作戦みたいな性格で、細かいことにはとにかく拘らない大雑把な性格の自分が好きで、自分の感情の繊細な部分には目を向けないようにしていました。ただ、精神的に異常をきたしてしまい、これまでの生活・思想を変えることを余儀なくされてしまいました。その頃から自分の感情の機敏に意識を向けるようになったのですが、勉強・経験等を通して何か新しい概念を獲得した、何か新しいものを体得したと感じた時に、達成感とかとはまた違う、視座が高くなるというか、文字通り見える景色が変わるという体験を何度かしました。その瞬間はとても豊かなもので、これを経験したおかげでたとえ回り道したとしても、そこで得られるものがあるということは本当なんだなぁと思えるようになってきました。

脱線しましたが、海外院進という道を進み始めていた私なのですが、挫折ばかりだし不安に襲われる日々なんですが、それでもせっかく進み始めたこの道の先にある景色を見たいと願うようになりました。私の解釈は五十嵐さんが意図したものとは全く違うかもしれないのですが、自分なりに解釈ができて、少し成長したのかもなぁと思いました。

余談: 私は進撃の巨人が好きなんですが、進撃の巨人の中でも一際好きなセリフの一つとして「ただし 自分で自分の背中を押した奴の見る地獄は別だ その地獄の先にある何かを見ている それは希望かもしれないし さらなる地獄かもしれない それはわからない 進み続けた者にしか…わからない」というのがあります。心が折れそうになった時はこのセリフを思い出して、これは私のはじめた物語、私はこの辛い日々のもっと先を見て進み続けるんだ、という気持ちになっています。

エピローグ

私は非常に幸運なことに、4年生の研究室配属で、非常に著名な松尾・岩澤研に配属されることになりました。先日あったシス創の国際研修の授業で先生方に、松尾研で博士号とったほうが研究者になる場合は良いという可能性もあるのでは?そういう可能性も含めて考えると良いよ、と言われました。それでもやっぱり私は海外院進がしたいんだという気持ちになりました。

私みたいな平凡な学生が海外院進なんて叫ぶのは正直気が引けるし、この思いを記事にして公開するのは恥ずかしいという思いがあって今まで記事に書くことはなかったですが、もう進み続けるしかないんだという高揚した気持ちで、深夜テンションで書いてしまいました。でも、いい意味でのプレッシャーになればいいっていうのと、自分がもしも将来迷ってしまった時に戻ってくる場所としてアリかなと思いました。

最後に。ただただクソガキが心に浮かんだものを書き連ねてお気持ち表明しただけの拙い文章を読んでくださり、ありがとうございました🙇‍♀️

キャンベラという街

お久しぶりです、takeshiho0531です。


今からちょうど1年前くらいに、大学のプログラムでオーストラリアに行っていて、その道中でブログを書いていたのですが、書き終わらなくてそのまま下書きの状態で放置されていました。

オーストラリア恋しいな〜という気持ちが強まったので(?????)、書きかけですが、1年ぶりに公開してしまおうかなと思います。(バスの中で書いてるというのもあってすごい誤字の量で意味不明な文も多いんですが、そのまま公開しようと思います)


こんにちは、takeshiho0531です。


私は今、東大のGo Global Gatewayのプログラムでオーストラリアに来ています。
2/13日の夜に羽田を出発して、2/14の朝からオーストラリアに来ています。
今までキャンベラに滞在していて、今まさにキャンベラを発とうとしているところです。(バスの中でブログ書いてます笑)
この研修に関して書きたいことはたくさんあって、道中では(今はシドニーに向かってます)書ききれなさそうなので、忘れないうちにキャンベラに来てみて感じたことを軽くまとめて書き記しておこうと思います。

. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

何から書こうか迷いますが、まずは反省点から。


1点目、ポケットWiFiのプランを通信量無制限のプランにしなかったこと。
位置情報をONにすると普通に通信量を食います。日本でいる時に比べて格段にmapを見ることが増えるので、日本で使ってる通信量よりもかなり多くの通信量を使っていました。すぐに速度制限がかかってイライラしちゃったりしたので、次の海外旅行は絶対に無制限プランにします。


2点目、クレジットカードを作らなかったこと。
カード社会とは聞いていましたが、自販機では現金が使えないなどがあって、all 現金だった私は何かと不便なことが多かったです。
一番残念だったのは、スクーターに乗れなかったことです。バスの本数があまり多くないエリアはそれなりにあって、そこに行こうと思った場合、ちゃんと戻ってこれるようにするには早く戻ってくるか歩いて戻ってこれる距離までしか行かないかしか選択肢がなかったので、あちこちに足を伸ばしてみたい私にとってはかなり辛かったです。親がかなり心配性なこともあって、スクーターに乗るためにクレジットカードを貸してくださいとは到底言えませんでした。。apple payに登録していれば、デビットカードプリペイドカードでも大丈夫だったと重います。


スクーター関連で。
キャンベラにはスクーターがあるせいか、バイクが少なくて、環境には良いのかなと思いました。15km/hと25km/hの2段階で速度調整できるらしく、結構スピードが出るみたいですね。怪我をしたという判旨を聞いたりもして怖いなとも思いますが、スクーターを乗りこなしていた班員が、とても快適に乗れる風に話すのでいいないいなとなってました。


バスもキャンベラの主要な交通手段の一つです。
ただ、どこかの観光地に行こうと思った時にバスは乗るのですが、なぜか歩かないといけなかったことが多かったです。キャンベラは今の季節は夏で、湿度が高くないため日本の夏よりは快適なのですが、日差しが強くて辛かったです。
また、国民性というものでもなさそうですが、草が生えてるエリアを普通に歩いて通るんだなということに驚きました。どういうことかというと、芝生などの草が植えてあって、それを囲うように道が存在する時、私なんかは遠回りでもなんだか道を歩いてしまうものですが、オーストラリアの人たちはみんなその草地を突っ切っていました。引率してもらった時はついていくのに必死で草地を私も突っ切っていましたが、靴の中に草やら何やらがたくさん入ってしまって不快でした。。


交通機関繋がりで行くと、トレルという路面電車が走っていました。

Gungahlin Place という終点、キャンベラの中心街であるシティの反対側にある駅とその周辺が、キャンベラ観光した中で一番好きだったかもしれません(それか、夕暮れ時のBurley Griffin湖か)。
人の規模は小さいもののシティにあるような飲食店があります。いい具合にこじんまりしていて、シティのように人が集まるところが嫌いな私にとってはこちらがとても快適でした。。(毎日どうやって東京なんかで生活してるんだろうって自分でも疑問です。)
外食をすると大体20豪ドル消えるという感じでした。
お気に入りの韓国料理屋さんも見つけました。韓国冷麺が大好きなので、食べれてよかったです。一緒にスプライトの缶を開けるのが最高すぎました!!(オーストラリア来てから毎日スプライト飲んでる...)
そこの韓国料理屋さんに入ると韓国語が話されていて、あの街での韓国の方のコミュニティの拠点として機能しているのかなという感じがしました。


Gungahlin PlaceにもシティにもColesというスーパーがありましたが、少なくともキャンベラではこのスーパーが独占的であるように感じました。

2023年 振り返り

なんで2024年になってこんなブログをあげているんだこいつは、というお話なんですが、2023年12/31に書くつもりがあいにくインフルエンザにかかって寝込んでしまっていたので書けてなくて、今更ながら書いてます。

1月1日ももうそろそろ終わりそうなのでもう1月2日ですが軽く私の2023年を振り返っていきたいと思います。

 

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  • 1-3月: 2年生ラスト!
    • 2月: 東大のプログラムでオーストラリアに10日ほど行ってきました。キャンベラに1週間くらい、その後シドニーにほんの少し滞在して帰ってきました。キャンベラにいた時は朝から午後6時くらいまではANU(The Australian National University)で講義を受けたり研究施設の見学をしたりして過ごして、その後は午後11時くらいまで自由時間、という感じの日々を過ごすことが多かったです。ANUの講義は、私の専攻しようとしている分野とも全く違い、知識も全然足りない状態だったので毎日夜遅くまでホテルで次の日の予習をしていたことを思い出します。ANUでは学生がバーベキューで迎えてくれたりして嬉しかったです、カタコトながらもなんとか話そうとしている私の言うことを一生懸命聞こうとしてくれたのも嬉しかったです。Instagramを交換して今でも交流がある友人も多数います。また、夜の自由時間を使って目一杯キャンベラを探索できたのも良かったです。日没が夜8時とかだったおかげでキャンベラをたくさん散歩できたし、電車の終点まで行ってお気に入りの韓国料理屋さんを見つけることもできました。キャンベラは何もないなんて言われているのを見たことはありましたが、私はむしろなんだろう、キャンベラの少し田舎じみたところがむしろ大好きになりました。今でもしょっちゅうキャンベラに行きたいって思います。
    • 3月: 長期インターン先でフルタイムのインターンを経験しました。深層学習のコードのリファクタから始まってAPIというものを学び、Kubernetesでデプロイができるようになり、幅広い技術に触れる機会を頂けたなと思います。
  • 4-6月
    • 4月-: ここまでは実はインターン先では画像系のチームに入っていたのですが、LLM(Large Language Models; 大規模言語モデル)のチームに移動しました。この時から今まではずっとLLMのチームにいます。LangChainといったライブラリの習熟を急ぐ一方、Vicuna、その後はLlama2といったLLMを実際にfine-tuningするなどの経験もさせてもらうことができました。この経験は私の今後の方向性に大きな影響を与えたと思います。限られたメモリでfine-tuningをするにはたくさんのものに頼らなくてはいけなくて(LoRA、Flash Attention、FSDP、QLoRA etc.)、でも使おうとしてもエラーが出て、なんか分からないけどIssueとかをみてそれをコピペしたらなんとか動いた....みたいな経験をたくさんしました。なんか分からないままコピペしなくてはいけなくなってるのは、私がCUDAとかのことを何もわかってないから、低レイヤのことが何も分かってないから、GPUのこと何も分かってないから......。また、GPUを大量に買うお金がある企業だけが勝っていくのは面白くないじゃん....という気持ちもありました。もともとハードに近い領域ってめっちゃかっこいいよね〜と漠然と感じていたのですが、それにこのような少し具体的な興味の対象が見えてきたことで、私の中ではハードやりたい!のお気持ちが急速に強くなっていきます。
    • 5月-7月: Google STEPというものに参加してみました。女子大学生で情報系のキャリアを目指そうという方は是非チェックしておくと良いと思います。ここで私は今まで機械学習関連一筋で情報系のことを勉強してきたのですが、アルゴリズムというものを知る機会が得られました。一方で、同期で参加していた女の子達は私よりも遥かにアルゴリズムに関しての知識も思考力もあり、メンタル的には非常に厳しかったです。向こうは大学でコンピューターサイエンスの授業をちゃんと受けてるんだから私よりもできて当然、と自分を納得させようとする一方、女子相手に負けるというのは非常に非常にショッキングな出来事でした。(差別的な意図はないのですが、どうしても周りでパソコン系強いと思うのは男子ばかりだったので.....)結局教育コースの次にあるインターンの選考には落ちてしまいました。
    • 5月-: この頃から明らかに精神的に異常をきたすようになっていたと思います。具体的には、なぜか頑張ろうと思ってもどうしてもできないというところから始まって、長く寝ようと思った日でも夜3時間に1回は目が覚めてしまう、寝付くのにほぼ毎日2時間以上はかかる、(夜寝れないせいか)17時ごろには気絶してしまいそうなくらいに疲れている、集中力が全くなくなってしまう、息が苦しくなる、動悸がする....という感じで耐え難いものになっていきました。今から振り返ると、その前までは寝たら終わらないから寝ることに罪悪感を持ってしまうなどという理由で毎日4時間半未満の睡眠での生活を長く続けてしまっていたことに加え、気温の急激な変化等もあったのかなと思います。精神科に通うというのに偏見を抱いてしまっていて行くのが嫌だったのですが、ついに通う決心をしてみてもらうことにしました。その後は今に至るまで抗うつ薬睡眠薬をずっと処方してもらっていて、薬を服用することでだいぶん回復してきています。病院に行って良かったと思っています。
  • 7-9月: 休養期
    • 7月: 大学の集中講義で低消費電力で高速に画像認識処理ができる半導体回路設計をしようという授業を履修しました。これは私がハードに漠然とした興味を持ち始めたことを知った友人が教えてくれたもので、友人には非常に感謝しています。AIモデルを扱ったことがあるという理由で上級者コースという院生しかいないコースで受講することになりました笑。受講人数がとても少なくて先生とのコミュニケーションが密に取れたのは良かったです。ただ、ハードに関して何も分からない私は、モデルをいじるといったハードとは全く関係のないことしかできず後は高位合成に任せた!みたいな感じになってしまい、非常に歯がゆい思いで終えた講義でした。
    • 8-9月: 長期インターン先でフルタイムインターンをしました。精神面での不安がとてもとても大きかったのですが、規則正しい生活を送るために、と参加することを決めました。今回のタスクは心機一転ソフトウェア(Web開発)を行うことになりました(私が静的型付けの言語やりたいという雑すぎリクエストを出したのにちゃんと拾ってくれた!)。ここではTypeScriptの他にReactやNextJSを覚えました。NextJSのルーティングのところからわかっておらず明らかに出発から転けていたものの、メンターの方が突き放すでもなく手取り足取りでもなく絶妙な距離感でリードしてくださったおかげで、途中からは非常に楽しく開発をすることができました。また、今まで機械学習系のプログラミングをしていた時は動いてやっと達成感が得られていて動かないとイライラという感じだったのですが、Pythonに比べてTypeScriptを書いてる時は安心感がありプログラムを書くという行為そのものがずっと快適で、また、今まで書かれていたコードを読んだりPRでコミュニケーションを取ったりして「良い」プログラムとは何なのかというものを自分で体得していく過程も非常に深いものがあって(ソフトウェアの開発なので機械学習のコードよりもこういうところに意識を払わないといけないがち)、プログラミング経験を楽しむというのもあるのだなぁと思いました。これがこの回のフルタイムインターンで得られた最も大事なものなのではないかなと思います。
  • 10月-12月 
    • 10月-11月: ここで私は我に返ります、Web開発楽しいし深いんだけど、私ってWeb開発とかするソフトウェアエンジニアになりたいんだっけ....??違う、私は海外でPhDを取ることが先なんだって!その方向性として深層学習がイマイチ自分の思想に合わなさそうとなっているのに、ハードへの未練謎に残したまま何もしてないのに、このまま終わっていいの....??という焦燥感を抱き、7月に受けた集中講義の先生にメールをしてなんとか研究を手伝わさせていただくことはできないでしょうか....???と頼み込み、幸運にも快諾していただけました。ただ私はverilogなどは全く触ったことがなくて、なんか分からないけど飛び込んだ....という感じでした。また、verilogを実際に書いてみる時期になっても、全然掴めておらず自信を失ってしまって、なんか方向性を間違っちゃったのかな私...と思う日々でした。
    • 11月: インターン先ではWeb開発のチームは離れ、また機械学習系のチームに入りました。正直、Web開発があまりにも充実していたので燃え尽きていたというかあまり乗り気ではなかったとはいえ、他に何か熱を入れていたわけでもなく、一生懸命仕事をこなしていました。
    • 12月: 電気系の学生がFPGAの実験の際に使うらしいと聞いた教科書(実践 コンピュータアーキテクチャ)を買ってみてやってみました、これがすごく良い出会いでした。薄い本なんですが、まずは手を動かすところから入るのが向いている私には良かったのと(シミュレーションソフトの動かし方まで書いてあったのが助かりました....)、何よりもこの本をやっていて「自分はとてもcoolなことをやっているんだ」という(謎の)強い確信を得ることができて、ハードに対する感情が大きくなっていきました。また12月終わり頃にはverilogに急に目覚めて(その時の感情をなんとか残そうとした記事↓)、ますます大きな感情を抱くようになりました。このような経緯でインターン先はしばらくお休みするという結論を出しました。

       

      takeshiho0531.hatenablog.com

 

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またまた長々と書き連ねたまとまりのない拙い文章になってしまいました、読んでくださった方々、ありがとうございます.....!

 

3年Aセメスター

明日は入学式的なものがあったような気がしていて大学はないのですが、明後日からは夏休みが終わってついに大学が始まるという時期になってしまいました.....
私もなんだかんだ言って大学3年生の後半に突入してしまいました(悲しい)。(東大では10月からの学期をAセメスターと言います)

まあなんで3Aセメスターの抱負的なものをここにつらつら書いていこうかなと思ってます。


まず学業面ですが、これはしっかり単位を取得していきたいですね☆
低レベルの目標で非常に申し訳ないのですが、私の在籍しているシステム創成学科が幅広い分野を扱っている何をやっているのかわからない学科なので、履修しなければならない科目の分野がとても広く、正直に言ってあまり興味のない科目に関しても取らないといけなかったりして少し厳しい部分があります。(進振り前は特に何をやりたいのか自分でも全くわかっていなかったのでこれがよく見えたのですが...)
また前学期で精神面で不調が響いてしまったこともあり諦めた単位もあったので、今学期はちゃんと卒業できるように単位回収がんばりたいです...!(やはり低レベル)


次にインターンに関して。
12月でエンジニアのインターン1年目が終わります。私は今までたくさんの人に助けてもらってなんとかやってきてこれたという感じなのですが、まあそろそろ少しは頼りになるかな?くらいの人間になれるようになっていきたい時期ですね。
プログラミングを始めて間もない時期はすごいエンジニアって幼い頃からずっとコンピュータを触ってきててなんでも技術を知ってるからそういう存在には絶対になれないんだろうなみたいなふうに漠然と思ってました。けれども、技術は日々進歩していて日々新しいものが創られているわけであって、技術をなんでも知っているというのは当然ながらあり得ない状態です。「すごいエンジニア」っていう存在はきっと技術を吸収するという点に関して貪欲さやこだわりといったものがあるのだと今の私は思っています。ソフトウェア全くわからないですみたいな1年近く前の状態から基本的なことはわかってきたかも?みたいなフェーズに今移行してきていると思っていて、ここの段階からもう一歩抜けるには技術の吸収という点でなんらかのこだわりや貪欲さというのを身につけるべき時期に差し掛かっているのかなぁと漠然と思っています。


最後にRA(research assistant)に関して。
今学期からRAに挑戦する予定です。インターンが1年経ちそうというので今年はさらに新しいところに挑戦しようと思い立ったわけです。
私が所属している学科の研究室ではなくて工学部の別の学科の研究室なのですが、AIプロセッサの研究をしている研究室です。
インターンでは深層学習のいわゆるレイヤーが高い部分の業務をやっていますが、こちらはハードという感じです。
元々インターン先のタスク関連で「AI」の中でもAIで何ができるかというよりも深層学習を行う基盤技術の方に自分は興味があるんじゃないかと思うようになって、この研究室が開いていた集中講義を履修したのですが、もっとやってみたいなと思ったので先生にメールを送りました。集中講義でもかなり面倒を見てもらっていたこともあって先生も私のことを覚えていてくださり、ありがたい事に割とトントンと話が進んだ感じです。
来年は海外の研究所で研究インターンをしてみたいなと思っているので、研究とは何かみたいなものから学べる機会を得ることができて本当に嬉しいです。
ハードに関する知識や技術が私にほとんどないという問題点もあって不安ではあるのですが、できなくても学んでできるようにすればいいや!という心意気で飛び込んでみました。足を引っ張らないように全力でがんばりたいです!


前学期で精神的な問題を抱えてしまい完治したとも思っていない中でこうやって自分にどんどん負荷をかけていっているのは正直不安でしかないのですが、ここで挑戦しないと私の人生設計が狂ってしまうし、だいたいやってみないと分からないし上手くいかなければそれはその時だと思ってます。
本当に勝負の学期になる気しかしないですが、最善を尽くしたいと思ってます...