Voyager

海外院進を志す女の子

私にとっての「留学」とは

こんにちは。

今日は多分将来の自分が見たらクソガキだなと思うようなお気持ち表明的なお話をします。

今学部3年生が終わるというタイミングなのですが、私は大学院進学のタイミングでの海外院進を目指しています。そんな今の私にとっての「留学」とは、なぜ私が海外院進をしたいのか、ということに関してつらつらとお気持ちを書き連ねたいと思います。

一番初めのきっかけ

私が初めて海外の大学院に進学したいと思ったのは大学2年生の夏休み半ばです。五十嵐祐花さんという方を知り、大学になって初めてプログラミングを始めた人でもMITみたいなすごいところに行けるんだぁ....という成功例を知り、もしかしたら運がよければ自分もいけるかも?と思ったのが一番初めだったと思います。(といっても五十嵐さんのブログを少し読んだだけで、五十嵐さんがどれくらいすごい実績で合格したのかということを当時はあまり知りませんでした...、だからこんなことを思ったのでしょうね...)

直後の挫折

海外の大学院に受かるためには研究実績を積まないと!となり、2年生の秋学期が始まると私は海外の大学/研究機関のサマープログラムへの申し込みの準備を始めます。KWS(駒場ライターズスタジオ)に何回も通って志望動機書の添削をしてもらうなどの努力はしたものの、申し込んだプログラムは全て落ちてしまい、また、授業でお世話になった先生に推薦状を頼んだものの断られてしまって推薦状がなくて申し込めなかったというものもありました。

その後春休みに申し込んだプログラムも全て落ちてしまいました。やはりそう甘くはないのだなぁと現実を突きつけられました()

それ以後はやみくもに海外のインターンに申し込むのではなく、日本で経験を積む方を優先して今に至ります。

なぜ私が海外院進を目指すのか

大学2年生夏休み以前は、海外院進どころか留学そのものにすら否定的でした。留学は、なんだか意識高い系の人たちがしているイメージがあって、海外でキラキラした留学生活を送るよりは質実剛健に学問で研鑽を積むのが学生として正しい、格好いいという考えが私の中にはありました。私自身はすごい陰キャなので今でもこういう、キラキラした人達への反骨精神的なものは心情的に非常に理解できます。

ただ、それでも私は海外院進をしたいと思う理由は、大きく分けて理性的なものと感情的なものがあると思います。(理性的とはいってもかなり精神面の話も入っていて分類の仕方が微妙なのはさておき)

理性的な動機

純粋に自分のキャリアにプラスになりそうだと思ったからです。(コミュ障・社不的な面があるので)元々修士を卒業した後にすぐに就職するというキャリアはあまり考えておらず、博士まで行こうかなぁとは軽く思っていました。(当時はあまり博士課程が過酷ということもあまり分かっていなかった...) でも、修士・博士の分の5年間分もの学費を親が出してくれるのかという不安があったし、博士卒よりも修士卒を取りたがる企業が日本には多いみたいな話を漠然とは聞いていて、経済面での不安がありました。これに関してはアメリカの博士課程の方が経済面では良さそうという話や、アメリカの有名企業はPh.D.保持者を取りたがるらしいみたいな話を聞いたりして、アメリカの博士課程は非常に魅力的だなと思いました。

感情面・精神面の動機

海外院進という方針で行こうと自分の中で決めた最終的なきっかけは理性的な動機に基づくものが大部分ですが、たとえ合理的だからといってそれでは私の場合、心が折れそうになったり不安に押しつぶされそうになった時に私を支える力はなくて、こういう時私を支えるのは感情面・精神面での動機です。

これは初期から抱いているものと、3年生の秋くらいから抱くようになったものとの2つがあります。

動機1: 自分だって特別だということを自己確認したい

これは初期から抱いているものです。

それまでの人生を振り返ると、自分は平凡だとか劣等生だという刷り込みを長く受けて続けていたように思います。小学校3年生の終わりくらいから関西では大手の浜学園という中学受験の塾に通ったものの中学受験は失敗してしまいました。中高では親が鉄緑会にものすごい額を課金してくれたおかげでなんとか東大には入ることができたものの、鉄緑での日々は自分は根本的に頭が悪いんだという認識を植え付けられた日々でした。東大に入ると次は、様々な面で圧倒的にレベルが違う人たちを目にする日々が待ち受けていて、自分は何一つまともにできない、誰かに勝てる部分が一つもない人間なんだなと思うようになりました。

一方で、私は自他ともに特別だと認めるような人間になりたいという思いは昔から強いままでした。物語の主人公の持つ特殊な力に憧れてみたり、私もガチプロになりたいと願ってみたり、逆張りオタクであったり.....。鉄緑で自分は頭が悪いということを嫌というほどに思い知らされたはずなのに、東大の入学手続きのために初めて駒場に行った時に一番初めに思ったことは「私、ここで埋もれてしまうのかな....、それは絶対に嫌」という感情でした。

海外院進は、周りの東大生があまり挑戦しないことであり、成功すると多分尊敬してもらえます。海外院進成功するまでの過程が、自分が特別だと確認するための過程だと思っています。

動機2: その先の景色が見たい

これは3年生の秋ごろから抱いているものです。

五十嵐さんが留学を志したきっかけとしてブログに、『自分には「より多くの、美しい景色を見たい」という根源的な欲求があり、世界トップの大学でストレスで死にそうになりながら博士号を取った後は世界がどの様に見えるのか、非常に非常に強い興味がありました。』と書かれていました。初めて読んだ時、私は正直全く理解ができませんでした。

私は、3年生の6月ごろから精神的な問題が顕著になり、精神科への通院を始め現在に至ります。精神に明らかな異常をきたす前は猪突猛進、がむしゃら、物量作戦みたいな性格で、細かいことにはとにかく拘らない大雑把な性格の自分が好きで、自分の感情の繊細な部分には目を向けないようにしていました。ただ、精神的に異常をきたしてしまい、これまでの生活・思想を変えることを余儀なくされてしまいました。その頃から自分の感情の機敏に意識を向けるようになったのですが、勉強・経験等を通して何か新しい概念を獲得した、何か新しいものを体得したと感じた時に、達成感とかとはまた違う、視座が高くなるというか、文字通り見える景色が変わるという体験を何度かしました。その瞬間はとても豊かなもので、これを経験したおかげでたとえ回り道したとしても、そこで得られるものがあるということは本当なんだなぁと思えるようになってきました。

脱線しましたが、海外院進という道を進み始めていた私なのですが、挫折ばかりだし不安に襲われる日々なんですが、それでもせっかく進み始めたこの道の先にある景色を見たいと願うようになりました。私の解釈は五十嵐さんが意図したものとは全く違うかもしれないのですが、自分なりに解釈ができて、少し成長したのかもなぁと思いました。

余談: 私は進撃の巨人が好きなんですが、進撃の巨人の中でも一際好きなセリフの一つとして「ただし 自分で自分の背中を押した奴の見る地獄は別だ その地獄の先にある何かを見ている それは希望かもしれないし さらなる地獄かもしれない それはわからない 進み続けた者にしか…わからない」というのがあります。心が折れそうになった時はこのセリフを思い出して、これは私のはじめた物語、私はこの辛い日々のもっと先を見て進み続けるんだ、という気持ちになっています。

エピローグ

私は非常に幸運なことに、4年生の研究室配属で、非常に著名な松尾・岩澤研に配属されることになりました。先日あったシス創の国際研修の授業で先生方に、松尾研で博士号とったほうが研究者になる場合は良いという可能性もあるのでは?そういう可能性も含めて考えると良いよ、と言われました。それでもやっぱり私は海外院進がしたいんだという気持ちになりました。

私みたいな平凡な学生が海外院進なんて叫ぶのは正直気が引けるし、この思いを記事にして公開するのは恥ずかしいという思いがあって今まで記事に書くことはなかったですが、もう進み続けるしかないんだという高揚した気持ちで、深夜テンションで書いてしまいました。でも、いい意味でのプレッシャーになればいいっていうのと、自分がもしも将来迷ってしまった時に戻ってくる場所としてアリかなと思いました。

最後に。ただただクソガキが心に浮かんだものを書き連ねてお気持ち表明しただけの拙い文章を読んでくださり、ありがとうございました🙇‍♀️